古代日本と関係の深かった悠久の百済(くだら)を実地踏査!考古学者高久健二先生が建国から滅亡まで百済のすべてを徹底解説!
東アジアの古墳文化がご専門の専修大学高久健二教授と行く『朝鮮半島歴史紀行・百済(くだら)編』!古墳時代、日本と深い友好関係を持った百済のすべてを高久先生が徹底解説いたします!漢江下流域に興った百済は漢城(ソウル)から熊津(公州市)→泗沘(扶余郡)へと遷都をしました。475年、高句麗の南下による王の死と漢城の陥落に伴って熊津への遷都を余儀なくされた百済は、勢力拡大の目を北から南に転じ、栄山江流域に対する支配力の強化を目指します。その後熊津での国力の回復と勢力拡大を背景に、手狭だった熊津から泗沘へと計画的遷都をします。この時期の百済は武寧王から聖王の時代で国力的にも文化的にも最盛期といえます。しかし新羅・高句麗と抗争を繰り返す中で、660年羅唐同盟連合軍の侵攻によって泗沘城が陥落し、最後の王・義慈王の降伏により百済は滅亡しました。このツアーでは朝鮮半島考古学がご専門の高久先生の解説のもと、都城・王陵・寺・古墳などの遺跡をめぐり各地の博物館を訪れ、百済のはじまりから終わりまでを体験していただきます!
<1日目>2024年 3月 30日(土)
国立公州博物館
国立公州博物館では1971年に発掘された武寧王陵の出土品や大田・忠清南道の出土品10万6374件(29万4608点)の文化財を収集・保管しています。国宝17点、宝物4点など学術的価値が高い重要文化財は、常設展示と特別展示で公開されています。武寧王陵から出土した遺物のほとんどを見ることができ、また発見当時の状態で石室内部が復元展示されているので、普段は見ることができない王陵内部を知ることができます。
公州武寧王陵と王陵園(宋山里古墳群)
宋山里古墳群は熊津期(475~538年)の王の墓が集まっている場所で武寧王陵を始め7基の古墳があります。武寧王陵は1971年に5・6号墳の補修工事の際に発見されました。武寧王陵は未盗掘のうえ、墓誌石が出土したため被葬者や確実な年代を知ることができ百済研究の重要な資料となっています。公州武寧王陵と王陵園の展示館では、武寧王陵及び5・6号墳が忠実に再現され展示公開されています。武寧王陵の発掘過程を学び、隆盛を極めた百済文化に触れることができる展示館です。
公山城
公山城は熊津期(475~538年)の百済の王城です。百済は高句麗長寿王の攻撃により475年に漢城から熊津(公州)に都邑を移すことになりました。公山城は文周王、三斤王、東城王、武寧王を経て聖王16年(538年)に現在の扶余である泗沘に遷都するまで64年間百済の王城でした。城郭沿いを歩いてみると錦江をはさんで公州市を一望できます。
艇止山遺跡
艇止山遺跡は武寧王をはじめとする王族の殯の場であった可能性が指摘されている遺跡です。大型壁柱建物跡がみつかっていることや、宋山里古墳群の北の錦江に面した丘陵に位置しており、武寧王陵から出土した武寧王と王妃の買地券に記された申地、酉地の方向とも一致しているので武寧王陵とセットで見学するのがおすすめです。
<2日目>2024年 3月 31日(日)
国立扶余博物館
国立扶余博物館は韓国伝統様式を取り入れた八角形の建物がある中庭を中心に、常設展示室である先史室、歴史室、仏教美術室と野外展示室から構成されています。先史室には扶余地域を中心に忠清南道地域で出土した青銅器時代と鉄器時代の遺物、歴史室には泗沘期の百済の遺物と三国時代の遺物、仏教美術室には泗沘期の百済の仏教美術品、野外展示室には仏像や石塔などの彫刻作品が展示されています。
官北里遺跡
官北里遺跡は百済最後の王宮址とされています。発掘調査で方形石築蓮池や口縁部に「北舎」という銘文が刻まれた土器や百済時代の排水施設が見つかっており、往時の百済王宮の荘厳さを感じることができます。
扶蘇山城
史跡扶蘇山城は百済最後の王都泗沘の一部であり、『三国史記』の百済本紀には泗沘城、所扶里城と記録されていますが、現在は山の名前をとって扶蘇山城と呼ばれています。泗沘城はまさに百済滅亡の舞台となった場所です。泗沘城陥落の際、数多くの女官たちが身を投げた落花岩や、百済末期の三忠臣、成忠・興首・階伯を祭った三忠祠、白馬江の美しい景色が見渡せる皐蘭寺など見どころ満載です。滅亡後、百済の遺民たちによって山城の築城技術が倭国に伝えられ日本各地に百済式山城(朝鮮式山城)が築城されました。
王興寺跡
王興寺は創建600年、完工634年の百済時代の寺院です。発掘調査の結果、百済寺院の伽藍配置を示す木塔址・回廊址・擁壁・進入路などが確認され、寺域の東の外郭地域では百済および高麗時代の瓦窯跡11基が発見されました。王興寺から出土した瓦の模様や塔の構造が奈良県の飛鳥寺のものとほぼ同じであることや、飛鳥寺の元の名前が法興寺であること、平城京に都が移った際に元興寺と呼ばれていたことから、本格的な伽藍を備えた日本最初の仏教寺院である飛鳥寺は王興寺をモデルに建立された可能性が高く、この時期の百済と倭国のつながりの深さを示しています。
陵山里古墳群・陵山里寺跡
陵山里古墳群は扶余期百済の王陵です。古墳群のすぐ隣には王の供養のために建立された陵山里寺跡があります。陵山里寺跡は百済芸術の象徴である金銅大香炉が出土した場所で、発掘された当時の状態を再現したレプリカが出土地点にありますので探してみましょう。王陵と寺は都城から見ると羅城の外に位置しています。
羅城
泗沘都城最大の特徴は王都泗沘を守るために築造された羅城です。近年の調査の結果、扶蘇山城から東側にのびる北羅城0.9km、東羅城5.4kmを合わせた総6.3kmが築造されたとみられています。平壌にある羅城とともに古い羅城のひとつで、熊津から泗沘に遷都した538年前後に築造されたとされます。朝鮮時代の地理書である『新増東国輿地勝覧』では羅城について、両端が白馬江に達し形態は半月のようであると描写されています。現在はわずかにその痕跡を残すのみですが、陵山里寺跡のすぐそばで見学できます。
<3日目>2024年 4月 1日(月)
国立全州博物館
国立全州博物館には、全羅北道で出土した考古遺物、歴史資料、書道、陶磁器、工芸品、美術品など、全羅北道に関する重要文化財が4万点以上収蔵されています。このうち約2,000点を4つの展示室と屋外展示場で常設展示している他、さまざまなテーマで企画展示が開催されています。
笠店里古墳群
史跡に指定されている笠店里古墳群は百済時代の古墳群です。全部で8基の墓があり、1号墳は石室墳とわかりましたがそれ以外は破損のひどい状態で発見されました。出土品には土器類や金銅冠、金の耳飾り、ガラス玉などの装身具類、馬具、鉄器などがあり、百済時代の遺跡の中でも重要な遺物が発見されました。出土品により、5世紀ごろに作られた墓であると推定されています。金銅製の冠は日本で発見されたものと似ており、当時の百済・倭国間で深い文化交流があったことを示しています。
王宮里遺跡
1989年から20年間、王宮里遺跡の発掘調査を行った結果、百済武王の代に王宮として建築、使用された後に王宮の重要な建物は取り壊され、その場所に寺院が建てられたことがわかりました。王宮里遺跡では古代韓国の王宮としては初めて王宮の外郭の塀が見つかりました。また王が政事を行っていた正殿など14の建物跡や、百済最高の庭園の遺跡、陶磁器を作っていた工房の跡などが発掘され、王宮の築造過程や王宮での生活を把握するためのよい資料となっています。
益山双陵
益山双陵は全羅北道益山市に位置する墓で史跡に指定されています。2基の墓が南北に約150メートルの間を空けて位置しており、双陵と呼ばれています。規模が大きく、北側にある陵は「末通大王陵」または「大王墓」と呼ばれており、少し小さめの陵は「小王墓」と呼ばれています。ここに葬られているのは百済の王であった武王とその妃である新羅の善花公主であると推測されています。双陵の規模は発掘当時は高さ3.1メートルでしたが、現在は補修され、大王墓は高さ5メートル・直径30メートル、小王墓は高さ3.5メートル・直径24メートルとなっています。
弥勒寺跡
百済最大の寺院である弥勒寺創建については『三国遺事』に詳しく記録されています。新羅の善花公主と婚姻し王になった武王が、善花公主とともに龍華山の獅子寺の知命法師を訪ねて行く途中、突然池の中から弥勒三尊が現れ、これを機に弥勒寺を創建することになり三尊のために殿、塔、廊 を建てたとされています。当時の百済の建築・工芸など最高水準の技術が発揮された百済最大の寺院です。
<4日目>2024年 4月 2日(火)
国立中央博物館
国立中央博物館は約42万点の遺物を所蔵し、考古学、歴史、美術、アジア関連の文化財を展示する常設展示館、多様な展示が可能な企画展示館、子ども博物館、野外展示室から構成されています。国立中央博物館の庭園は美しく散策を楽しむにも最適です。展示案内アプリもあります。
漢城百済博物館
漢城百済博物館では風納土城、夢村土城、石村洞古墳群など漢城期百済の遺跡から出土したさまざまな遺物を展示しています。夢村土城が見えるオリンピック公園内に2012年に開館しました。
風納土城
風納洞土城は百済初期の土築城郭です。元々は周囲4キロメートルに達する大規模な土城でしたが、1925年の洪水で南西側の一部が遺失し、現在は約2.7キロメートルが残っています。土城の形態は南北に長く伸びた楕円形で東側に4ヶ所、門と思われる跡が残っています。風納里式無文土器・新羅式土器・網につける錘・糸車・紡錘車・瓦など先史時代から三国時代に至る遺物が出土したことから百済以前から人が住んでいたことがわかります。城の性格については都城である慰礼城とするものと防御城とする二つの見解があり現在も調査・研究がされています。百済初期の重要な城として当時の姿を知ることができ、夢村土城や石村洞古墳群と関連して歴史的にも非常に価値のある遺跡です。
夢村土城
夢村土城は漢江支流にかかる自然地形を利用し泥を押し堅めて積んで城壁をつくった百済の土城です。オリンピック公園内にある夢村土城は百済が古代国家の基盤をつくったといわれる漢城期につくられた城郭のひとつです。河南慰礼城と推定され史跡に指定されています。南漢山城からの丘陵地を利用し、外城・内城に重畳された構造で建てられました。隣接の博物館では夢村土城で発掘された百済の遺物(洗髪土器、各種壷、円筒状食器下敷など生活用具)や穴蔵の跡などが発掘当時のままの姿で展示されています。
ソウル石村洞古墳群
ソウル江南に漢城期(-475)の百済の最高支配者層の古墳群があります。ソウル石村洞古墳群です。その中の石村洞3号墳は、高句麗広開土大王や長寿王の墓とされる太王陵や将軍塚に匹敵する規模で、初期の百済を大きく発展させた近肖古王陵と推定されています。石村洞3号墳は基壇式積石塚と呼ばれる割石を方台形の階段式に積んで築造された古墳ですが、積石塚は高句麗独自の墓制です。このことは百済の建国勢力が高句麗から南下してきたとする『三国史記』の建国神話の内容とも一致するので大変興味深いです。
プロフィール
高久 健二(たかく けんじ)
九州大学大学院文化科学研究科修士課程修了、韓国・東亜大学校大学院史学科博士課程修了・文学博士取得。九州大学大学院比較社会文化研究科助手、埼玉大学教養学部准教授、教授を経て、現在、専修大学文学部教授。専門は韓国・朝鮮考古学、東アジアの古墳文化。楽浪郡と半島南部の三韓における古墳文化について、古墳の構造や副葬品などから分析。主要著書『楽浪古墳文化研究』(学研文化社)他論文多数
利用予定ホテル | 1泊目:INK HOTELまたは同等クラスのホテル 2泊目:ラハンホテルまたは同等クラスのホテル 3泊目:ソウルガーデンホテルまたは同等クラスのホテル |
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利用予定航空会社 | アシアナ航空 |
添乗員 | 現地係員がご案内します |
募集人員 | 15名様 |
最少催行人数 | 10名様 |
旅行企画・実施 | 株式会社TABi´Z タビーズ 観光庁長官登録旅行業第1906号 JATA正会員・ボンド保証会員 ( 旅行条件書 ) |
日程 | スケジュール | 食事 | ホテル |
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1 | <1日目> 大韓航空KE706 成田9:15―仁川12:00着 (現地発着をご希望の方は原則上記の航空便でお越しください。その他の航空便ご利用になり航空便の遅延などが発生した場合は、ご自身で公州までお越しいただくことがございます。) 日本語ガイドと合流し、専用車で移動 忠清南道・公州市へ 国立公州博物館、公山城、公州武寧王陵と王陵園(宋山里古墳群)、艇止山遺跡 見学 豚カルビの夕食 ホテルへご案内 INK HOTELまたは同等クラスのホテル
※上記行程は現地事情で変更になることがございます。ご了承ください。 |
朝:× 昼:×(機内食) 夜:豚カルビ |
INK HOTELまたは同等クラス (2名1室利用) |
2 | <2日目> 公州市内でコムタンの朝食 ホテルを出発 専用車にて、扶余へ 国立扶余博物館見学 サムパプ(包み菜ご飯)の昼食 官北里遺跡、扶蘇山城、王興寺跡、陵山里古墳群・陵山里寺跡、羅城見学 全州へ移動 全州ビビンバの夕食 ホテルへご案内 ラハンホテルまたは同等クラスのホテル
※上記行程は現地事情で変更になることがございます。ご了承ください。 |
朝:コムタン 昼:サムパプ(包み菜ご飯) 夜:全州ビビンバ |
ラハンホテルまたは同等クラスのホテル (2名1室利用) |
3 | <3日目> ホテルにて朝食 朝食後、国立全州博物館 見学 益山へ移動 プルコギの昼食 笠店里古墳群、王宮里遺跡、益山双陵、弥勒寺跡 見学 ソウルへ移動 海鮮鍋の夕食 ホテルへご案内 ソウルガーデンホテルまたは同等クラスのホテル
※上記行程は現地事情で変更になることがございます。ご了承ください。 |
朝:ホテル 昼:プルコギ 夜:海鮮鍋 |
ソウルガーデンホテルまたは同等クラスのホテル (2名1室利用) |
4 | <4日目> ホテルにて朝食 ホテル出発後、国立中央博物館 見学 参鶏湯の昼食 漢城百済博物館、風納土城、夢村土城、石村洞古墳群 見学 仁川空港へ 大韓航空KE705 仁川18:35―成田21:05着 (現地発着をご希望の方は原則上記の航空便でご帰国ください。その他の航空便ご利用になりご出発が上記航空の出発時刻よりも早い場合は、対応できかねますのでご了承ください。) お疲れ様でした
※上記行程は現地事情で変更になることがございます。ご了承ください。 |
朝:ホテル 昼:参鶏湯 夜:×(機内食) |
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日程表の表示時間帯の目安は以下のとおりです。
早朝=4:00~6:00 / 朝=6:00~8:00 / 午前=8:00~12:00 / 昼=12:00~13:00 / 午後=13:00~16:00 / 夕刻=16:00~18:00 / 夜=18:00~23:00 / 深夜=23:00~4:00 /
成田発着 243,500円(2名様1室利用おひとり様料金)
現地発着 193,500円(2名様1室利用おひとり様料金)
【旅行代金に含まれるもの】 往復国際航空(航路)エコノミークラス運賃(※現地発着の方は除く)、運送機関が課す付加運賃料金(燃油サーチャージ)、空港税、国際観光旅客税、空港施設使用料、日程表記載の移動車両の運賃・料金、日程表に記載されている宿泊料金および諸税・サービス料、日程表に記載されている観光の料金、日程表に記載されている食事代および諸税・サービス料、日程表記載の観光の料金及び伴う場合のガイド料金、団体行動中のチップ
【旅行代金に含まれないもの】 日本での前後泊時の宿泊費・移動交通費、超過手荷物料金、任意の海外旅行傷害保険、お飲み物代金、オプショナルツアー代金、日程表記載の内容以外に行動される場合の諸経費、個人的性質の費用、傷害・疾病に関する治療費、パスポート取得費用、カフェ代
※前泊・延泊などは個別に対応いたします。その場合、仁川空港現地発着のご旅行代金に航空券代をご購入いただく形となり、航空券代金は手配旅行契約となります。何らかの理由でツアーが催行しない場合、手配旅行契約で航空券をご購入いただいた方は、航空券をキャンセルされるとキャンセル料が発生しますので、ご注意ください。
別途料金 | 1人部屋(1名1室)追加代金 3泊分 25,000円 |