「帰郷祈念碑」除幕式参加ツアー
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  目的  
 
 太平洋戦争が激化し、日本軍の敗色が色濃くなってゆくなか、「一億一心 火の玉」のスローガンを胸に、戦争の狂気に翻弄されながら誰もが「国のために潔く死ぬこと」を願っていた時代。
 
 日本統治下の朝鮮半島でも「内鮮一体」の号令のもと、多くの朝鮮の人々が日本の軍人・軍属として駆り出され、若人達はその青春の夢も、命も犠牲にしました。
 
 戦争を知らず、平和を享受している私達は、改めて平和の意味とその尊さを噛みしめ、二度とあのような悲劇を繰り返さぬよう心に誓いたいと思います。
 
 「帰郷祈念碑」は日本兵として沖縄に散ったある朝鮮人兵士の慰霊碑ではありますが、同時に多くの犠牲者の冥福を祈るものです。この除幕式とそれに伴うイベントに参加していただくことで、日韓が互いの文化を尊重し、世界へ向けて平和を発信する機会になればと思います。
 

  経緯    
 
 女優黒田福美が朝鮮半島南端の地、慶尚南道泗川(サチョン)市 西浦(ソポ)面に、ある慰霊碑を建立しようと奔走している。
それは太平洋戦争時、朝鮮人でありながら日本兵、それも特攻隊兵士として沖縄の海上で散った光山文博こと、卓庚鉉(タク・キョンヒョン)を慰霊するためのものだ。
 
  彼女がこの兵士の存在を知るのは、にわかには信じられないようなことがきっかけだ。黒田は四半世紀に亘り韓国報道や韓国文化紹介に取り組んできた。そのことは日韓両国で広く知られている。
そんな彼女の夢に一人の兵士が現れ、「戦争で死んだことに後悔はないが、自分は朝鮮人であるのに日本人の名前で死んだことが残念だ」と告げた。九十一年夏のことであった。
以来彼女の十七年に亘る長い旅が始まる。
 
 どれだけ無念であれば、縁もゆかりもない者の夢に現れ、そのような告白をするのだろうか。夢に現れたのは果たして誰だったのか?親族はいるのか。永い年月をかけて調査をし、彼女は夢に現れた兵士が光山文博こと卓庚鉉にちがいないと確信するようになる。そしてなんとしても彼の故郷に光山文博ではなく、朝鮮名「卓庚鉉」の名を刻んだ石碑を建てることで、そのさまよう魂を慰めたいと願った。
 
 そんな彼女に思わぬ協力者が現れる。ソウル明知大学史学科の洪教授(現在 東京大学客員教授)だ。洪教授は当時の沖縄県知事大田昌秀氏の依頼を受け、糸満市にある「平和の礎」の韓国人戦没者の調査を永年続けてきた。その根底には「歴史家の使命は歴史から学び、平和への願いを訴えること」という信念があった。洪教授の兄が日本海軍特攻兵であったことも洪教授自身が平和を希求することに執念を燃やす一因となったかもしれない。
 
 洪教授には自分と同じようなことをやりはじめた黒田の心情がよくわかった。しかし黒田一人では困難なことが多すぎる。洪教授はさまざまに黒田をサポートした。
 
 黒田は洪教授と共に卓庚鉉の故郷である泗川市西浦面を何度となく訪れた。バスを乗り継いでソウルから往復10時間の道のり。田畑の広がるのどかな山村である。
ソウルの教授と日本人女優。訪れた珍客にはじめは驚くばかりであった西浦村役場の人達も、彼等が何度も足を運ぶうちだんだんと事情をのみこんでいった。そして卓家の生家付近に小さな土地を提供してくれることになった。
「ささやかでもいい。本名を記した石碑を」とさっそく準備を進めはじめると、「どうせなら少しでも立派なところを」との声が地元からおこりはじめた。泗川市市長にお願いに伺うと、市長は次第に黒田の話に心を動かされ「木槿の花公園」という立派な敷地を提供してくれることになった。
さらに洪先生の呼びかけに応えて、韓国を代表する彫刻家、高承観氏が「歴史的に意味のあることだ」と、自らその彫像を刻んでくれることになった。
 
これらの活動が昨年夏、朝日新聞・東亜日報に掲載されると当時の学徒兵や退役軍人パイロットの方々からも「何か力になれることはないか」との問い合わせが相次いだ。日本でも新聞を読んださる旅行社が「利益を省みずに除幕式参加のツアーを組もう」と申し出た。
 
除幕式は5月10日(土)と決まった。奇しくも泗川市「市民の日」でもあり、卓庚鉉の命日の前日である。(韓国では祭祀は命日の前日に行う)
準備をすすめつつ戦争体験者や、親族をなくした地元の人達の話を聞くにつけ、黒田はこの石碑が一兵士を慰霊しさえすればよいのではないと感じはじめる。
 
「一億一心 火の玉」のスローガンを胸に、戦争の狂気に翻弄されながら誰もが「国のために潔く死ぬこと」を願っていた時代。朝鮮半島では「内鮮一体」の号令のもと、多くの朝鮮の人々が日本の軍人・軍属として駆り出され、若人達はその青春の夢も、命も犠牲にしていった。
そんななか、特攻兵などは「国賊」視され、親族からもひた隠しにされつづけた。さまざまな事情で弔われることもなく、いまも虚空をさまよう魂はあまたある。
せめても浮かばれぬ魂が懐かしい故郷の山河へ帰るように、そんな思いを込めて名付けたこの「帰郷祈念碑」は、一人の朝鮮人特攻兵士の慰霊碑ではあるが、同時に多くの戦争犠牲者の冥福を祈るものでありたい。黒田はそんな思いを碑文に込めた。
いま洪教授と黒田はいずれこの石碑を沖縄の「平和の礎」のように、多くの戦争犠牲者を慰霊する石碑群にしたいと、その夢を改めて遠く、高くに据えた。
 
除幕式前日には前沖縄県知事大田昌秀氏・霜出勘平南九州市長(知覧町)など関係者によるシンポジウムを開催、また除幕後には「慰霊登山」を考えた。この慰霊碑の主旨に賛同する人、韓国で増えつつある「日本ファン」の有志らに呼びかけ、やってくる日本人とほど近い鳳鳴山を共に手を携えた山登りを通した交流を企画。この除幕式とそれに伴うこれらのイベントに参加してもらうことは、日韓が互いの文化を尊重し、世界へ向けて平和を発信する機会になるのではないか。
 
はじめはちっぽけな石碑でもいいと思って始めたことが、様々な人達の手によってどんどん大きくふくらんでゆく。驚きを感じながらも、何かに導かれているようでもある。
 
うららかな五月の山を日韓両国の人達が楽しげに歩く姿を思い描くと、夢に現れた卓庚鉉が願っていたことは、まさに「このような日の到来」ではないかと思えてくる。
 

 
 
 
 

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