女優 黒田福美 |
|
|
初めて洪先生と卓さんの故郷である泗川市西浦面を訪ねたとき、私達の考えていた慰霊の石碑は道端の道祖神くらいのささやかなものでした。 |
ところが実際にその準備にとりかかると、地元から「どうせならもう少し良い場所を提供してやってはどうか」という声があがったのです。金守英泗川市市長も私の思いに共感してくださり広大な敷地をご提供くださいました。 |
大喜びしていると、今度は韓国を代表する彫刻家、高承観先生が「歴史的な祈念碑になる」とおっしゃって自ら彫像を刻もうと名乗り出てくださいました。思わぬ展開に驚いていると、更には「祈念碑の除幕式に参加するツアーを作って多くの方に歴史的瞬間を見届けて貰おう」とご提案くださる三進トラベルサービスの立木社長が現れました。 |
せっかくおいで戴くお客様に、泗川の魅力と歴史を余すところなく楽しんでいただきたいと三進のスタッフの方たちと一緒にコース作りもしました。 |
また「平和の礎」をつくられた元沖縄県知事大田昌秀さん、特攻基地知覧からは南九州市長霜出勘平さん、平和の礎の韓国人犠牲者の調査にあったった東大客員教授洪鍾佖先生、そしてこの石碑建立に大勇断を下した一番の立て役者、金守英泗川市長、末席に私も加わり、それぞれの平和にかける思いを語っていただくシンポジウムを開催することにしました。 |
除幕式の後はうららかな五月の山を日韓両国市民が共に交流し、楽しんでいただける慰霊登山のイベントも考えました。 |
できるだけ沢山の方にこの催しを知っていただき、参加してくださったらと親しいメディアのみなさんにお話しすると「独占するのでなく、みんなでこれに光を当て、盛りたててやろうじゃないか」という気運が起こり、韓国観光公社もこれをバックアップしてくれることになりました。 |
まったくあれよあれよと言う間に、当初は想像もしていなかったような大きな展開になったことに私が一番驚いています。 |
このことに取り組みながら私も少しずつ成長してゆきました。 |
はじめはただ一人の兵士を悼むことを考えていたのですが、次第に軍人・軍属として日本の為に働き、望郷の思いにかられながらもついに故郷へ帰れぬまま日本人として葬られた魂があまたあることにも気づいたのです。 |
思えば私の夢にでてきた卓さんは、そんな方たちの代表として私にそのことを伝えたかったのかもしれません。 |
さまよえる魂が「帰郷祈念碑」を目指して、異国の地から懐かしい祖国に帰ってきてくれたらと思います。 |
そしていつかは沖縄県の「平和の礎」のように太平洋戦争で犠牲になった多くの方たちの名前を刻み、大切な家族が確かに生きていた証を残すようなものにしてゆけたらと、改めて夢を遠く高く掲げています。 |
「帰郷祈念碑」はこのようにして多くの方々のご賛同と応援なくしては完成することはできませんでした。 |
また、この度のモニュメント建立をもって終わるのではなく、多くの方々の犠牲の上に築かれた尊い「平和」を希求し、その意味を噛みしめる「成長してゆく石碑群」になるよう、これからも努力を続けたいと思います。 |
「帰郷祈念碑」に思いを寄せてくださった全ての皆様に心から感謝をいたします。そして多くの方々が5月10日の良き日に西浦に集ってくださることをお願い申し上げます。 |
|
黒田福美 |